くりちゃん(栗林 賢) 享年101歳への弔辞「自分と相手と世界と仲良くする人を増やして世界を平和にするために生きて、人・動植物・すべてのいのちの笑顔に囲まれた人生を振り返る」

くりちゃん、周りを見渡してごらん。
くりちゃんの大好きな大自然の中、たくさんの人・動物・植物・虫・ものの笑顔に囲まれているよ。

先になくなった、父さん、母さん、最愛の妻のまるちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、お先祖様、大切な仲間や友達の魂にも囲まれているよ。
30歳頃からイメージしていた通りの人生の終わりを迎えられたね。

それも、くりちゃんが、「自分と人と世界を愛する人を増やす」「自分と相手と世界と仲良くする」ということをやってきたからだね。
一緒に生きてきたその人生の思い出を最後に振り返ってみたいと思うよ。


くりちゃんは、小さい時は真面目でおとなしくて目立たない子だったね。
中学生くらいから「世界を平和にしたい。」という壮大な夢を描いていたね。


いろいろと大変な出来事や気持ちを経験してきたね。


中学生時代に自分のお金が盗まれ続けていたのは本当に辛かったね。「誰も信じられない」と人間不信に陥ったね。しばらくの間、家族のことも信じられなくなり、家では部屋にこもり、家族とはほとんど話もせずに、1人でご飯も食べる時期が中学から高校の3年以上続いたね。 本当にさみしかったね。


大切な人に「裏切られた」という心の傷を背負って、
「いざという時に人は裏切る」という思いこみを強く持って、
人を信じること・頼ることができず、 ほとんどのことを1人でやるようになっていったね。どこかでいつも裏切られる不安と恐怖に苦しんでいたね。
無意識に、大変な時に裏切られないように自分から壁をつくったり距離を置いたりして、人を信じない/頼らないようになっていったね。


18 歳の時にフリーで現代美術の創作活動を始めたけど、周りは「無理でしょ!」と否定したり、 相手にしてくれない人ばかりだったね。自分の夢ややりたいことを、理解してもらえない、応援してもらいことが、悔しくて悔しくてしょうがなかったね。


元妻との離婚騒動で生活も心もボロボロだった時に、恩師から「もっと貢献しろ。」と言われて、今の状態では応えることができないことを伝えて、研究を休むことになったね。「役立たず」と言われたように感じて、とても悔しかったね。

「こんなに弱っているのに誰も助けてくれない。状況や気持ちをわかってもらえない。」
と本当に孤独を感じていたね。

それまで仲間として一緒に研究をしていたメンバーからも声はかけられず、
「今までのつながり、関係ってなんだったんだろう?」と
仲間や友達がわからなくなったね。
結局、「役に立つかどうか」でしか、 僕という存在を求めてはおらず、余裕がなく、その相手や場に貢献できなくなった途端に「役立たず」と見放されるのか」と思い込み、本当に苦しんだね。


こんなことを経験してきたから、強く優しくなれたよね。
「もうあんな思いはしたくない!」「同じような気持ちでいる人が楽になったら嬉しい!」と、
「 安心してありのままでいられる平和な世界」「自分と相手と世界と仲良く、みんなが認め合って生かし合って支え合う調和した世界」を強く願って、つくろうとしてきたね。


本当にいろんな人との出会いに恵まれて、いろんなことを教えてくれたね。
それがくりちゃんの人生を深く豊かなものにしてくれたね。


父さん、母さん、妻のまるちゃんは、目の前の人、日々の暮らしを大切にすることを教えてくれたね。


てんつくマンとの出会いは、強い思い込みに囚われて、悪いイメージばかりしていた僕に、潜在意識の仕組みやイメージング、自分の人生は自分で作れること、愛とつながることや応援し合うことの喜びを教えてくれたね。てんつくマンのワークショップに参加したり、スタッフやらせてもらったり、紹介している人に会いに行ったりして、素敵なつながりがさらに広がったね。


アニキは、人との出会いが人生を変える、愛し愛されることの喜びを教えてくれました。「もっとアニキのそばにいたい!」と勢いで参加したアニキ塾、「何ができるかじゃなくて、ありのままの存在を認め合いたい」ずっと求めていた、そういうつながりや関係をアニキ塾でつくっていくことができたね。アニキやアニキ塾の仲間たちは、ダメなところ弱いところも伝え合って、認め合って、できることで応援しあえたね。本当に一生の付き合いになって、死ぬまで一緒にいられたね。


働き方研究家のニシさん(西村佳哲さん)、傾聴空間建築家のくにちゃん(橋本久仁彦さん)、質問家のマツダミヒロさん、わもんのやぶちゃんは、「自分と相手の本当に深いところにある大切な思いや気持ちをどう聴くか」「ジャッジせずに、期待せずに、ありのまま聴く態度」「本当に自分や相手という存在を尊いものとして関わること」を教えてくれたね。


そんな経験や気付き、出会いから、「自分と相手と世界を感じる感性をひらく」ことで「自分と人と世界を愛する人を増やす」「自分と相手と世界と仲良くする」「 安心してありのままでいられる平和な世界をつくる」という自分の天命に向かって、動いていくことができたね。


感性を豊かにすることで、どんな大変なことがあっても、前向きで気持ちでいられるようになったね。出来事の感じ方を自分で調整できるようになって、いい気持ちでいられるようになるワークショップやカウンセリングなど、優しい平和活動がジワジワ効いて広がっていったね。自分の気持ちを穏やかにしていられるようにすることで、自分の中に楽園・天国をつくっていくことができたね。

20代の頃からずっと作りたかった、感性開拓塾・研究所を32歳の時に作れた時は本当に嬉しかったね。次の年から、塾が大阪や岡山へと全国へ展開していったのも嬉しかったね。

散歩と旅が大好きだったくりちゃんだから、32歳の時に、京都や岡山へと展開した感覚開きツアーが、33歳の時に屋久島、その後、日本全国へと展開して、34歳の時に初の海外ツアーもやって、その後も全世界のパワースポットを巡っていったのは、本当に楽しかったね。


「1人でも多くの人が自分の天性や個性をいかして、安心してありのままの自分らしく生きれる場所をつくろう」
セミナーなどの非日常的な場ではなくて、共同生活を通して一緒に育んでいきたい」
という思いで
「天性を楽しみながら育むコミュニティ”てんがく(天楽/天学)”」
を30歳の頃から始めたね。

まずは自分の家を使った滞在プログラムでこじんまりと始めた場所が、大きな古民家を借りて規模が多くなっていったね。山や土地を提供してくれる協力者や一緒にコミュニティをつくる仲間も現れて、場づくりからわの村・わの世界づくりに展開していったね。

円坐やわの舞などで調和的な場を作り続けたね。50年で3万人以上の人が訪れてくれて、元気にいきいきと楽に自由になっていった姿と顔を観ていられたのは本当に幸せだったね。


くにちゃんのミニカンや、やぶちゃんのわもんを通して、「聞く」感覚を磨いていったね。30代で、くにちゃんややぶちゃんのように自分や相手の魂の声が聞けるようになれたね。人生を通して会った10万人以上の人が、くりちゃんという存在に触れるだけで、元気になったり癒されたりしてきたね。


40代の時に「自分が知っていること、やってきたことをすべて伝える!」とくり塾をつくったね。死ぬまでに5000人の塾生と500人の弟子を育って、世界を平和にするために、世界を愛と光で充たすために活動してきたね。塾生や弟子達がいきいきと活動して活躍する姿を観るのが本当に嬉しかったね。


そろそろお別れの時間だね。若い頃の僕だったら、「生きててほしい」とか「一緒にいてほしい」とか言ったかもしれないけれど、今はさみしくはないよ。人とちゃんと一緒にいることを大切にするくりちゃんだから、きっと魂が肉体を離れた後も、僕たちとやんと一緒にいてくれるだろうね。くりちゃんの魂、その平和のスピリットは共に生きてきたみんなの中に生き続けるだろうね。


今までどうもありがとう!
これからもよろしくね!